2015年02月21日(土) 崇台山 安中市


 今年も鳥見散歩を兼ねて崇台山へ出かける。山頂まででは物足らないので下高尾の県道まで下り、長学寺へ登り返して駐車場へ戻る周回コースを歩く。車を置かせてもらう安中市学習の森・ふるさと学習館の駐車場は、この日は7割がた埋まっている感じがした。


 コース:安中市学習の森11:10→崇台山11:55-12:30→下高尾13:30→長学寺14:10→安中市学習の森15:15 (所要時間4時間05分)

 駐車場 安中市学習の森・ふるさと学習館駐車場。
崇台山から浅間山


 ふるさと学習館の背後の林の中に立派な遊歩道が整備されていて、何時も野鳥がいることが多いのでちらっと覗いてみる。小さな池の周りの草むらに10羽ほどのカシラダカの群れがいて、ぱらぱらと先へ逃げて行く。


 
安中市学習の森の遊歩道 カシラダカ


 ふるさと学習の森の前の舗装道路を東へ、中耕地の外れの農家の間を抜けて広々した棚田を横切り、崇台山登山口へ向かう。ウォーキングしている女性と、もう崇台山から下りて来たという二人ずれの年配の女性たちに遇う。 


モズ ジョウビタキ


 なだらかな低い里山に囲まれて整然と整備された中耕地の棚田の風景は、日本の故郷のイメージに近いのではないだろうか。余り変わってほしくない何か懐かしい風景である。


中耕地の集落と棚田


 棚田の横の登山口から竹林の中の少し急な道を登る。このコースで登山道らしいのはほぼここだけである。上から子供連れのご夫婦が下りて来た。ガビチョウのけたたましい鳴き声がすぐ近くで聞こえるが姿は見えない。尾根に出てその尾根を少し歩けばもう崇台山山頂である(群馬100名山、標高299m)。


 
崇台山山頂の展望、妙義山、浅間山、鼻曲山、浅間隠山など


 崇台山は標高は低いが展望は360°で素晴らしい。ただし武尊岳から赤城山はかすみの中で見えなかった。気になる風景もある。最近あちこちに設置され始めた太陽光パネルだ。こんなものが野放図に野も山も覆い始めたら、日本の風景はどうなってしまうのだろう。太陽光パネルはせめて住宅の屋根かビルの屋上だけで勘弁してもらいたいものだ。


太陽光パネル ツバキ


 山頂は誰も居ない。静かな山頂の空気を独占してしばらく展望を楽しんだあと、早速お弁当を広げる。今日はここへこれを食べに来た様なものだ。桜の新芽はまだ固そうだが、以前来た時はウソの群れが来てくれた。楽しみに見上げていたが来てくれそうもない。ミヤマホオジロに初めて出会えたのも、このよく刈り込まれた山頂の草むらの中である。覗いてみたがジョウビタキが1羽身を隠すのが見えただけだった。 


 元気な子供達の声が聞こえてきて、一番乗りの小学校低学年くらいの女の子が東側の急坂を登って来た。誰も居ないと思って来たらしい山頂に我々がいるのを見てちょっと吃驚したらしい。下に向かって”早くおいで、おじいちゃんとおばあちゃんがいるよ。”と報告している。山頂に小さな女の子3人と地元の人らしい若いおばあちゃんが登って来た。子供達が元気にあいさつする。急に賑やかになった。食事も終わっていたので我々はお先に失礼する。  
    崇台山から榛名山


   子供達が登って来た急な崖を下り、尾根の先で折り返して舗装された農道を下る。花の季節にはまだ早いが、道端のタンポポにはもうハナアブが来ている。どこに隠れているのか知らないが、少し暖かくなればすぐ出てくるんだね。 
山頂から東側の急坂    
 
    タンポポとハナアブ


 しばらく下った桜の木に期待していたウソのペアが飛んできた。まだ固い新芽をもぐもぐ食べている。高い木の枝の先で撮るのに苦労したが何とか撮れたみたいだ。


   
   
桜の木に来たウソ 


 この下り道の左の斜面は梅の畑だったらしい。手入れされずにつる草に覆われてしまったのを、6年前来た時に再び手が入って梅の木が剪定されていた。今回見ると梅の木はほとんどなくなってしまい、再び雑草に覆われていた。道端に生き延びた梅の木が花を付けていて、その根元にフキノトウが顔を出している。山頂で一緒になった子供たちが元気に下りてきた。若いおばあちゃんがフキノトウを採って行くから待ってと声をかけている。妻が私達も三つ四つ貰っていいですかと、若いおばあちゃんに聞いている。いいですよと言うので5つ貰って来た。帰って早速てんぷらにして春の香りとほろ苦さを味わった。


フキノトウ                         
紅梅と白梅


 6年前に初めて来た時、農家のお年寄りのご夫婦が”もうじき節句だからなあ”とヨモギの新芽を積んでいた段々畑の横を過ぎる。畑は放置され耕作された跡はない。お二人は健在なのだろうか。ヨモギ餅を楽しんでくれた孫達はもう育ってしまったのだろうか。神社の前の小さな遊び場の遊具は全部かたずけられてしまい、青いスベリ台ももうなかった。お二人が教えてくれた上高尾から長学寺へ向かう道へ抜ける近道も、草に埋もれ踏み跡すら分からない。勝手に走り回る子共たちの歓声が消え、軽トラックが農家の下駄がわりになって、農家の人達も畑へ行くのに歩かなくなれば、便利だった近道も消えてしまうんだろうね。


下高尾の集落の道。この尾根の耕作されなくなった段々畑にも太陽光パネルが並ぶ日が来るのだろうか。 
                          下高尾の小さな神社


 楽しみにしてきた近道が無いので仕方なく下高尾の県道まで下る。車の往来のある県道を上高尾の集落まで歩き(ほんの僅か)、長学寺への舗装道路を見付け、ほとんど勾配を感じない道を長学寺へ登り返す。


   下って来た崇台山の尾根の見える棚田の風景は6年前と変わらずに見えるが・・・。 変わらないことを望む方が無理なのかもしれない。
崇台山の尾根と棚田    


 
モズ   農業用水池のホシハジロ


 6地蔵の並ぶ長学寺への分岐の手前に小さな農業用水地があって、またまたホシハジロが4羽だけで独占していた。ホシハジロ気にしてみれば何処にでもいる。


 長学寺への分岐にある六地蔵                              


 長学寺は加賀100万石前田利家の5男利孝が大坂夏の陣の戦功により七日市(富岡)に封じられて立藩してよりの菩提寺となって、代々の墓がある。 大名の菩提寺らしい格式を感じさせる寺である。  
    長学寺の鐘楼兼山門


 長学寺の鐘楼の正面の長く急な石段を登る。途中に子安観音の石像が祭られている。観音様と言うのは女性的な雰囲気の像が多いが、ここでは赤ちゃんに乳を含ませようとする母親(女性)そのものの姿をしている。こんなお姿の観音様は初めてだ。キリスト教の聖母子像に有りそうな姿で、何処かでその影響を受けているのかもしれない。前田利家は少なくともキリシタンに寛容な大名であったらしいし、その影響を受けた子孫達も比較的自由な精神世界を持っていたのかもしれない。


 
    長学寺の子安観音
長学寺本堂
                             長学寺


 前田家の墓地の前を通り、崇台山の尾根に登り返す。この道も鳥影の多い道である。早速エナガの群れがやってきたが、上手に小枝の陰に隠れて渡って行ってしまった。そのうち地味な鳥が藪の中を飛び交うのが見えた。藪の中ではAFは勝手にあちこちにピントを合わせてしまうので鳥を捕らえられない。何枚か撮った中で比較的見られるのが下の二枚である。是非今年も会いたいと思っていたルリビタキだった。もう少し開けたところで遇いたかったなあ。


ルリビタキ 


 高圧電線の鉄塔の所で崇台山山頂への道を分け、尾根を越えて田植の準備の進む中耕地の棚田へ戻ってきた。我々としては珍しく9800歩の散歩になった。 


 
何のつぼみ?   中耕地へ戻る






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