ときタマ日記 2011年03月26日



避 難


木陰に隠れて我々をやり過ごそうとするトラツグミ


 勿来(なこそ)にいた妻の妹が10日間ほど我が家に避難して来て、昨日帰って行った。地震では怖い目にあったが幸い家も壊れず、津波の被害も受けずに済んだ。ただ二歳の孫がいるので断水と、日に日に拡大する放射能騒ぎにはまいったらしい。その孫と両親も一緒に避難してきたが、そちらは我が家には一泊しただけで次の日にはウイークリーマンションを借りて様子を見ていた。お風呂は何よりだったようである。秋田の実家からも早速支援物資が届いた(さすが佐川急便で翌日着いた)。残念ながら妹の家の断水は未だに回復せず、しばらくかかるらしいが、3人とも仕事を持っており、そちらのインフラは回復したようなので、不便を覚悟で放射能の不安は抱えたまま帰って行った。久しぶりに会うことが出来た妻と妹はよく話題が尽きないと思うほど、毎日良くしゃべった。笑い声も絶えなかった。私もたまに参加させてもらったり、気を遣うのも遣わせるのもいやなので、適当に二階に避難してきり絵に励んだ。それにしてもベテラン主婦が二人いると私の出る幕はない。お茶も食事もコーヒーも座れば黙って出てくる(手持無沙汰)。来た時は治りきらない風邪でげしょげしょして憔悴しきっていた妹も、帰る時はびかびかに元気になっていた。しかし帰れば現実が待っている。帰りついたことを報告して来たTELでは、あたりまえの様にトイレに入ったら水が出なかったと、涙声で話していたと言う。



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ガソリン騒ぎは前橋では終息したようである。昨日数台待っただけで満タンに給油できた。

           
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