ときタマ日記 2017年05月24日(水)


ミュシャ展
国立新美術館


 最近東京の美術展にも行っていないので、ミュシャ展を見に行こうということになった。ただ国立新美術館は東京駅から地下鉄で行こうとすると、まず地下鉄の駅まで到達するのが結構大変、地下鉄の切符を買うのも大変、乗り換えがまた何処まで続くかと思われる地下迷路だったという、乗りなれた人から見れば馬鹿みたいな経験に懲りていたので、予めどう行くか調べておいた。

 その行き方は山手線の有楽町で下りて(前の方に乗る)目の先に見えている日比谷交差点(日比谷公園)まで歩き、交差点を渡って交番の後ろの地下鉄入口から直接東京メトロ千代田線に乗る方法。乗って4っつ目(7分)が美術館に直結している乃木坂駅である。料金は170円。歩く距離はおそらく最短、切符買うのも簡単、駅が小さいからわかり易いし、後ろからせっつかれないしね。


”スラブ民族の賛歌”


 開場時間に10分ほど遅れたら、もう凄い行列。入ってすぐのエスカレーターを2階に上れば会場なんだけれど、エスカレータまでが文字通りうねうねの長蛇の列。我々の時最後尾はまだ館内にあったが、すぐ最後尾は館内を抜けて正面の庭の方に伸びていた。会場にたどり着くまで約50分掛った。


 エスカレーターの前で約20人ほどに区切られる。危険だからね。入場券売り場も混むという話だったので、これは出掛けにセブンイレブンで購入しておいたが、それ程混んではいなかった。慣れないセブンイレブンの機械の操作を教えてもらいながら購入する方が時間がかかったかも。これも初めての経験。何でも便利になってるね。老人にはあまり関係ないけど。


 馬鹿でかい絵はルーブルやベルサイユ宮殿でナポレオンの戴冠式の絵など、何枚か飾ってあるのを見てそのスケールと精細さにショックを受けたことがあるが、6m×8mクラスの同じ画家の巨大な絵が、一度に20点も展示されることはこれからもそうはあるまい。その意味では一種の見世物かもしれない。そしてその画家はあのミュシャだという。見なければね。


 そしてあのすさまじいまでに沢山の人々が集まった展示室内はどうなっているのだろう。幸い展示室の一つは写真撮影が許可されている。それで遠慮なく古いコンデジで写真を撮った。見てもらえば分かるが、展示室に入ってみると桁外れに大きな絵と、それが何枚も入る巨大な展示室のおかげで、人は多いが遠くからでも近くからでも意外と自由に絵が見られる。近くからでは絵全体は見えない。逆にオペラグラスや双眼鏡を持って来て絵を見ている人が何人も居た。信じがたいね。


 巨大な絵の前では、描かれた絵の世界に見る者が溶け込んで、一体化してしまうようだ。 
(部分)   
”ロシアの農奴制廃止” 


 ミュシャはだまし絵のように絵の一部を絵の枠の外にも描いている。  
”イヴァンチツェの兄弟団学校” 


”聖アトス山(部分)”                       


 ミュシャはこの20点からなる作品群 ”スラブ叙事詩” を晩年の16年をかけて描いたという。その静かな高揚した精神の持続力には何か爆発しない狂気に近いようなものを感じる。既に時代はゴッホやゴーギャンやピカソなどが、より解放された軽快で自由な(より束縛された?)個性のある画風を確立していく時代だった。そんななか16年間ミュシャはぶれずに ”民族の叙事詩” を描ききった。この20点の巨大な作品群が一度に展示されるのはミュシャの母国以外では日本が初めてだという。(今後中国、韓国、米国と回るらしい。) この時代、この時に、この国立新美術館で、この作品群が展示されるのは、たまたまということではあるまい。もてはやされたボーダーレス、グローバル、自由経済の時代は既に不協和音を発している。日本を含めて世界の多くの人々が、あらためて民族、人種、国境といった問題を突き付けられている。 


 展示された絵はプラハ市立美術館から来た”スラブ叙事詩”20点のほか、ミュシャのフランス時代のあのポスターの数々やその他を含む総合展のようになっていて、老人にはとても全部を集中して見ることなどできない。展示物が小さくなり部屋も狭くなれば混雑も効いてくる。20点の大作を見るだけで十分である。その他の中に昔の写真で知っていたサラ・ベルナールの蛇型のブレスレットと指輪、ブロンズの胸像ラ・ナチュールを見付けた時は嬉しかった。遇えると思っていなかったからね。


 グッズショップは超満員、絵ハガキを選ぶのも困難。会計がさらに大変。ぎゅうずめの列がショップの奥から外までつながっている。図録だけほしいと思って会場整理の女性に聞いたら地階の本屋さんにもありますとのこと。行ったらほとんど並ばずに買えた。


   普段こういう混雑とは無縁だから楽しかったと言えば楽しかった。乃木坂側出口で外に置いてある草間彌生のカボチャの頭が見えた。先週まで彌生展もやっていたからね。
     


 日比谷に戻って日比谷公園の中の小さなレストランで食事(にんにくの効いたキノコのスパゲッティ)。1時を回っていたので混んでなかった。緑を見ながらゆっくりコーヒー。少し肩の力が抜けた。昔、紅葉がきれいだったよね。今、紅葉しそうな木は一本も見当たらない。後で少し散歩したら皇居のお堀側にも似たようなレストランがもう一軒あるんだね。勘違いしたようだ。


 
日比谷公園のレストランで


 有楽町から山手線に乗ったらすぐドアのそばに座っていた中年の二人ずれから、どうぞと席を譲られてしまった。ショック。若いつもりでいるのにね。席を譲られるのは確か初体験。年は隠せないんだなあ。次降りるからいいですと断ったが。どうぞ、どうぞと立ってしまって座らない。電車は結構混んでいるしね。好意?を無にするのも悪いので僅か数分座って東京で下りる。彼等は海外旅行の帰りか大きなスーツケースを引きずりながら満足そうに先に下りて行った。


 もう一つ大変興味を持っていたのがあの巨大な絵、どんな梱包をし、どうやって運び、どうやって展示室に搬入して展示するのだろうね。ユーチューブかなんか見てたら何のことはない、じゅうたんみたいに丸めて持って来るんだね(それだって大変だろうけど)。それを広げて鉄枠に引っ掛けて立てかけてから釣り上げる。えっ!!、だよね。よく放送大学なんかで美術品の取り扱い方、梱包の仕方、運搬の仕方なんてやっているけど、あの人達が見たら気絶するんじゃないかな。美術館のガラスの壁にミュシャ展の実物大の絵のポスターが掲示されていたが、まさか今回の展示品みんな実物大コピーじゃないよね。





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