ときタマ日記 07年02月20日


古 墳


保渡田八幡塚古墳
背景は榛名山、右の邪魔な建物は土屋文明記念文学館。


 築造当時古墳はどのように見えたのだろう。群馬の古墳は二子山、八幡山、稲荷山などの名称が、残されてきたイメージを伝えている。概ねなだらかなやさしい曲線に包まれていて、桜山になっているものも多いし、社寺の一部、公園、あるいは単なる雑木の山として保存されているものもある。群馬の古墳は玉石で葺かれた跡を残すものが多いが、この保渡田八幡塚古墳はその玉石で覆われた、建造当時の古墳を再現したもので、やさしい曲線など何処にも無く厳めしく無骨である。当時掘っ立て柱の竪穴式の家に住み、この古墳の建造に使役された住民や、遠方からこの地へやって来た人たちには、この古墳はどのように見えたのだろう。何を感じたのだろう。そう言えば現代にも似たものがある。六本木のタワービルや都庁、あるいは本四架橋を作った鳶の若者や、それを見物に行く我々の感覚と似たものだったのだろうか。



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