07.06.19(TUE) 相 馬 山 榛名山


 相馬山は沼の原から歩けば標高差300m、ゆっくり歩いても登り1時間半は掛からないが、木道歩き有り、長い階段有り、鎖場有り、高いハシゴ有りで変化に富んで面白い。山頂に黒髪山神社があり古くからの信仰の山である。車で榛名湖から榛名町側に少し下ったところにある、榛名神社の前の民族資料館で行われている、きり絵の先輩のKさんの展示会を拝見しがてら、久し振りに登ってきた。


 コース:沼の原駐車場10:40→スルス峠11:05→鳥居11:30→山頂12:05-12:15→鳥居12:40→スルス峠13:00→沼の原駐車場13:20 (所要時間2時間40分)

 駐車場:登山口: 伊香保から車で登った最高地点がヤセオネ峠。ここから下りの直線道路で一気にカルデラの火口底に走りこむと、左手が沼の原で直線の終わり、松之沢峠への分岐点に40台位は駐車できそうな駐車場がある。現在立派なトイレ建設中。沼の原のハイキングコース(ゆうすげの道)は駐車場入口の向かい側。
沼の原から相馬山


 沼の原は7月末から8月のユウスゲが有名で、沢山の人たちが訪れるので踏み荒らされないように、立派な木道が作られている。レンゲツツジも残っているがもう終わりである。替わりにアヤメが咲いている。花はないがクサボケの群落が沢山あって、花の時期はいいかもしれない。キスゲやマツムシソウの新芽が伸びている。木道を過ぎて潅木の中を少し登るとスルス峠である。


スルス峠のヤマボウシ スルス峠からスルス岩


 スルス峠は潅木が生長してほとんど展望がなくなってしまったが、スルス岩の威容は相変らずである。案内板によるとスルスは臼のことで石臼に似た岩という意味らしい。磨墨という字を当てるそうである。


長い石の階段 長い木の階段


 スルス峠からは立派な石の階段が整備されていて、かなり古いように見えるが基礎工事がしっかりしているらしく、壊れている所は一箇所もない。その先の落葉樹のトンネルのような道を抜けると、赤城山の駒ケ岳から黒檜山にかけて整備されたものと同じ仕様の、立派な木の階段がある。人工的によく整備された山である。オーバーユースによる山道の崩壊を防ぐにはこれしかないのだろう。


 木の階段を登り切ると立派な赤い鳥居が現れる。何故か黒髪山神社ではなく相馬山と書かれている。平成12年に前橋の講の人たちが奉納したと書いてあるから、山岳信仰は今も生きているといっていいのだろう。ここはヤセオネ峠への分岐にもなっていて、少し下には真新しい石仏などもあるのが、木の間から透けて見える。信仰登山の人達には、ヤセオネ峠からの道が参道になっているようだ。
 ここからはかなり険しい登りになり、昔の参道として、自然石を階段のように並べた名残のような岩場を登る。新しいものを含め、石碑がかなりの数建てられている。
黒髪山神社の鳥居
何故か相馬山と書いてある。


 道の険しい所には古い鎖が設置されている。更に険しい所に長い鉄はしごがある。最後の鎖を登り切ると勾配は緩やかになり山頂は近い。鎖は何時頃のものなのだろうか、輪と輪の接点は半分くらいに摩滅しているのに、ボロボロに錆びてしまうわけでもなく、剛性のなさそうな形なのに変形もせず、未だに役立っている。作られた時の品質がいいものなのだろうが、流石にもう余り頼らないほうが良いかもしれない。
かなり長い鉄はしご


木が鎖を食べてしまった。 山頂付近に残っていたヤマツツジ


 山頂には古い小屋(神殿)があり、中は拝殿になっている。一般登山者も拒否はされていないようなので、緊急時には使わせて貰うことは出来そうだ。外の一段高い所に三体の神像と灯篭や石碑がある。鼻の折れた天狗の首のような像もある。これらと生長してしまった潅木によって、山頂の展望は余りよくなく、やや狭苦しい感じがするのが残念である。山頂を越えて伊香保森林公園のほうへ下る道は、山頂で閉鎖されているようだった。こちらも潅木が茂って展望はない。


 山頂の平成6年に立てられたステンレスの由緒書きによれば、黒髪山神社のご祭神は大山津見神(オオヤマツミノカミ)とある。もと榛名神社の末社で、独立した今も神主さんは榛名神社に居るらしい。残念ながら三体の神像についての説明はない。前橋の人の話では、御岳山に登る前にはこの山に登ったというから、御岳信仰にも関係があるのかもしれない。
山頂風景


 晴れれば富士山も見えるというが例によって霞が濃く見えない。榛名富士や榛名湖も方向が悪く見えない。足元の緑の山が、何とかいう土建屋に、土取りのために切り崩されて、赤土をさらしているのだけが痛々しく見える。母親らしい女性と一緒に登って来たたくましい若者が、今にこの辺の山は皆崩されちゃうよ、と悔しそうだった。そう切り崩されているのは山だけではない。心もだ。

左側の神像
仏像は見ても神像というのは余り見ない。何か日本離れした風体に見える。
中央の神像
 不動明王のように剣を持っているが、ポーズをとった歌舞伎役者のよう。肩に何か背負っているから風神か雷神なのだろうか


 特に写真は撮らなかったが、右側の像は荒船神社の裏の御岳の山頂の銅像とよく似ているから、御岳信仰に関係のある像かも知れない。衣冠束帯を身に着けた平安貴族のような姿だ。 


山頂のヤマオダマキ 緑のトンネルのような道にオトシブミが沢山落ちていた。


 食事も持っていかなかったので、すぐに山を下る。榛名神社前の民族資料館へ寄ったら、休館日でKさんのきり絵を見ることは出来なかった。前のお蕎麦やさんは今日の分はもう売り切れで暖簾を片付けているところだった。なんてこった。心掛けの悪さがちゃんと出てるね。そうしたらお蕎麦屋さんの女将さんが、30分待ってくれたらお蕎麦を打ってくれるという。ご好意に甘えて榛名神社の境内をぶらぶらしてから、打ち立てのお蕎麦をいただいた。お腹が空いていて美味しかった(もちろん空いていなくても美味しいお蕎麦である)。




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 オオヤマツミノカミ:イザナギ、イザナミの国生み、神生みによって生まれた山の神、天孫ニニギノミコトのきさき、コノハナサクヤヒメの父
 ほかにも山の神は、イザナギによって斬り殺された罪深きヒノカグツチノカミの死体から勝手に生じた、マサカ(正鹿)ヤマツミノカミ、オド(変換不能)ヤマツミノカミ、オク(奥)ヤマツミノカミ、クラ(闇)ヤマツミノカミ、シギ(志木)ヤマツミノカミ、ハ(羽)ヤマツミノカミ、ハラ(原)ヤマツミノカミ、ト(戸)ヤマツミノカミがいる。オオヤマツミノカミが総支配人なら、これらの神々はそれぞれの部署の支配人である。
 それにしても何故その部署の支配人たちは斬り殺された死体から生まれたのだろう。古事記が作られた頃、人々が持っていた山のイメージがそうだったとしか思いようがない。里に対して山は恐ろしい神々の支配する所で、その神々の恐ろしさは、転がっている腐乱した死体から連想される恐ろしさなのだ。少なくとも老夫婦達の捨て場ではあっても、健康と癒やしの場ではなかったことだけは確かである。




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