04.02.28(SAT) 鈴ヶ岳 赤城山

 友達とバス旅行に行く妻を朝6時50分に前橋駅へ送る。私はその足で赤城山へ向かう。この日夕方6時からは、楽しみにしていた元の会社の気の置けない仲間達との会合があるで、あまり遠くへは行けないし、あまり疲れた顔で行くわけにもいかないから、やはり赤城山が妥当なところである。

コース:新坂平登山口7:35→姥子峠7:50→鍬柄山8:25→コル8:55→鈴ヶ岳山頂9:25-9:55→コル10:10→鍬柄山10:40→姥子峠11:00→新坂平登山口11:15  (所要時間3時間40分)

赤城道路は箕輪の駐車場から上の日陰には雪が凍り付いて残っているが、新坂平まで路面はほとんどアスファルトが露出して乾燥していた。

朝は流石に時間が早く、箕輪の駐車場には3台くらいしか車が無かった。しかし山頂に向かう車はかなり多く、箕輪の少し上に停車して用心深くチェーンを巻いている車も何台かあった。帰る頃箕輪の駐車場は満車状態だった。

新坂平の鍬柄山・鈴ヶ岳登山口の前の駐車場は大部分除雪されていて、10台程度は楽に駐車できる。トイレは無い。
鍬柄山の尾根から鈴ヶ岳

 無雪期の鈴ヶ岳登山口周辺は嫌いである。赤城道路を登り下りする車がうるさく通過するし、正面の牧場の古びた鉄条網の柵が狭々しく行く手をさえぎって、拒否されているようで不快である。周囲の環境を楽しみながらゆっくり準備してさあ登ろうかといった余裕を与えてくれない。追い立てられるように尾根まで登っても鉄条網沿いの登山道を歓ぶ人は居ない。赤城道路の喧騒も鉄条網も遠のいてほっとするのは姥子峠あたりまで来てからである。この辺からやっと鈴ヶ岳への登山が始まる。

 冬、木々が葉を落として光が満ち、雪が牧場も藪も登山道もすっぽり覆うと、牧場と登山道を隔てる境界は目立たなくなり、車の通りが圧倒的に少ないということもあって、そこは別世界のように本来の自然を取り戻す。
 尾根までは10分程度の急登だが、夜来の地吹雪で雪化粧を直したフレンドリーな山道に魅かれ、雪面の氷の結晶が朝の低い光線にきらめくのに気を奪われている間に登りきってしまう。
 赤城の他の山に比べれば登る人が少ないせいもあるのだろう、この尾根から途中の鍬柄山のピークにかけて野生動物の気配の濃いところである。鹿、兎、山鳥他正体不明の動物の足跡が一杯あって、いずれも私が通る直前に付けられた真新しい足跡である。彼らは私の気配に身を潜め、私が行過ぎるのを待っているのかもしれない。
登山口の牧場から尾根への登り道


鍬柄山山頂
鍬柄山の尾根から荒山と鍋割山の稜線、遠く富士山が見える。

 鍬柄山への南面の登り道はところどころ地肌が出てしまっているが登り始めると展望が良くなる。鍬柄山は大変展望が良い山である。山頂からは大沼を中心にした赤城の主峰群、少し遠くに日光の男体山の山頂や日光白根山、尾瀬の燧ヶ岳と至仏山、武尊山、谷川連峰、草津白根山、浅間山あたりが良く見える。この日は八ヶ岳や北アルプス、南アルプス、富士山まで見えた。ほぼ中間点だからザックを下ろして一休みである。

 山頂からは雑木に囲まれたやせ尾根を鈴ヶ岳とのコルに向かって急降下する。ここからが鈴ヶ岳で、割りとのびのびした山容の赤城山の中にあって、ちょっと異境に入り込むような気持ちになる。今日一番乗りの特権で申し訳ないようなまっさらの雪面を気持ちよく踏んで下る。アイゼンが無ければちょっと怖いようなところもある。
 コルは広々してほっとできる場所である。赤城キャンプ場への分岐がある。一息ついて今度は急勾配を登り返す。標高差150m位であろうか。途中南面の露岩を二箇所ばかりアイゼンを付けたままガリガリ登る。やっと勾配が緩んでヤレヤレという時、後ろで気配がして振り向いたら男性が一人登ってきた。かなりハイペースである。道を譲ろうかと思ったが道は狭いし山頂が近いことは分かっていたので、マイペースよりピッチを上げて何とか迷惑をかけず山頂に先に着くことが出来た。
鍬柄山から鈴ヶ岳への道

 山頂には3柱の神々が祭られている。鈴嶽山神社、赤城山大神は分かるとして愛宕山大神とはなんだろう。愛宕山もあちこちにあって、その山名を持つ神はいったい何の神なんだろう。信仰を知らないものにとっては謎である。いずれにしてもこんな険しい山の頂に、人の背丈ほどもある立派な碑が3本もある山は珍しいのではないだろうか。信仰の力には敬服せざるをえない。
鈴ヶ岳山頂

 向かって左手10mほど離れて少し傾いた基岩の上に、御神鐙と書かれた碑のような石が建っているがこれは石燈籠であろう。以前は100kgを悠に越えそうな傘石(燈火を載せる台?)が上に乗っていたが今は下に落ちてしまっている。と言うことはこの碑が作られた当時には、夜もこの燈火台に赤々とかがり火を炊き、信者が集って神事を行うことがあったのだろう。今のように便利な時代ではない。漆黒の山頂に燃えさかるかがり火と、松明を手に山に登り集う人々、そこには間違いなく神々がいたに違いない。
 今も信仰でこの山に登る人が居るようである。山頂の一方の外れには真新しい黒御影石の碑が建っているし、又たまにそのようにして登られた痕跡を見ることがある。

 山頂の展望は木々の枝にさえぎられてそれほど良くはない。それでも以前に比べると良くなったのではないだろうか。鈴ヶ岳に関する限り、あまり山頂が白日の下に晒されるのは雰囲気を損なうような気がする。
 昼食の用意はしていったが山頂9時半ではいつもなら朝食でも不思議の無い時間である。流石に食事にする気は無く、紅茶だけで一休みした。
鈴ヶ岳山頂から見た大沼、黒檜山、駒ケ岳

 山頂で一緒になった男性は安中の人だそうである。S化学の山岳部から退職後は松井田の山岳会に席を置いて、今冬八ヶ岳を登り次は御岳に行く予定があるとのこと。気ままな一人歩きも大好きで毎日のようにどこか歩いているそうである。来る時はアイゼンも付けず鍬柄山からの下りを下りてきたというのにはたまげた。流石に帰りはコルに下ったらアイゼンを付けるといっていた。
 一足お先に下ったが鍬柄山の山頂では軽く追いつかれてしまった。途中鈴ヶ岳の中腹で同年輩のご夫婦に会う。鍬柄山の山頂にも若い単独の男性が居た。鍬柄山からは安中の男性と定年後の生活や、年金の話、子供や孫のこと、スノーシューの話などお喋りしながら一緒に下ってきたのであっという間に新坂平についてしまった。
 帰りはHさんに教えていただいた沼が窪の坐禅草自生地により、富士見村の日帰り温泉で汗を流し頭も洗ってさっぱりし、家に帰ったがまだ2時である。2時間ほど昼寝してからゆっくり支度して会合に出かけ12時まで飲んでいた。久し振りに目一杯一日を楽しんだ。






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