04.01.03(SAT) 荒山・鍋割山 赤城山

 一日・二日は食べ過ぎ飲み過ぎ、のんびりしました。やってきた孫との凧揚げもうまくいきましたが、彼女はすぐ飽きてしまったようです。今度は模型飛行機にしましょう。孫を楽しまそうと言うより、孫をだしにこちらが好きなことだけやって勝手に楽しもうと言う訳ですから、孫はいい迷惑でしょうね。ここらでぴりっと二人揃って雪の赤城山に初詣と思いましたが、妻は暮れに足の薬指を突き指してしまって山は無理なようです。残念ですが一人で出かけました。

コース:箕輪駐車場10:20→荒山高原11:05→荒山山頂12:15-12:50→荒山高原13:25→鍋割山山頂14:05-14:40→荒山高原15:20→駐車場15:40 (所要時間5時間20分)

赤城道路は数日暖かい好天が続いたので、箕輪駐車場のすぐ手前まで雪は無い。しかし駐車場内、あるいはそれより先は雪が凍り付いている。
荒山山頂から地蔵岳・長七郎岳

 Tさんご夫妻は赤城に初日の出を見に行ったと言う。みんな熱心だから正月三日の今日も箕輪駐車場は車で一杯である。雪は十分踏まれているのでアイゼンだけつけて登る。駐車場が一杯と言うことは私が最後に近いと言うことで、何時ものことだがもう降りてくる人に出会う。荒山高原には7〜8人、鍋割山へ向かう人、下ってくる人も見える。適度な人出というところだろう。風はこずえで鳴っているが身体にはほとんど当たらない。荒山高原からは日差しも強くヤッケも脱いでしまった。手袋も要らない。荒山の最後の急登にかかる頃にはたまに吹き寄せられる雪雲に風花が舞っていた。

 山頂には誰も居なかった。赤城大明神の石の祠に向かって初詣、と思ったらお賽銭が無い。しょうがないので、ポケットの中の飴玉を一つさしあげて、お願いだけは山ほど並べた。前にも書いたがこの祠は駿河の神、富士浅間大菩薩が荒山にやってきて大暴れ(噴火)するのを鎮撫するために、ふもとの赤城神社が造ったものだそうである。我々庶民の小さな願いなど耳の穴をほじりながら”ちいせいちいせい”と笑ってるんでしょうね。横の木に括りつけてある木の札に書いてあった赤城大明神という名前が気になった。明神様って良く聞くけど何だろう。辞書を引いて見たら単に神様のことだそうである。大明神とは特にお願いし甲斐のある神様ということらしい。頼りにしてまっせ!!。赤城山神とか赤城大神とかみんな同じ意味なんだね。日本は多神教の国だから何にでも神格があるんだ。山の神様と言えば最上格なんだろうね、きっと。山の神? そういえばうちにも一人いたっけ。

 明神様に手を合わせているとき男性が一人登ってきた。挨拶して聞いたら大田の人だそうである。朝、黒檜山の登山口まで行って、黒檜山が雪雲をかぶっているのを見てあきらめて荒山に変更だそうである。私より早く同じ道を下って行った。



 体が冷えるのが嫌なのでヤッケを着込んでゆっくり食事をし、来た道を戻る。山頂直下の急な崖を下り終わってほっとしていたら、ヤッケをザックに括りつけた男性が一人で登ってきた。もう鍋割山を登ってきたそうである。山頂の情報交換をする。鍋割山山頂の寒暖計では気温が12℃あったそうである。くだりは寒いかと思ったが暑いので結局又ヤッケを脱いでしまった。
 良く踏まれた雪の上を歩くのはゴロゴロした夏の道よりずっと楽である。荒山高原まで下ったが天気は好いし、時間もあるし、体力的にもまだいけそうなので、ちょっと無理をして鍋割山まで足を伸ばすことにする。登り始めの最初のピークまでが苦しいが、それを越えれば見晴らしの好い尾根である。超えてきた荒山を振り返りながら小さなピークを3つほど辿る。葉を落としたミズナラや雑木の森が広がる荒山の山裾も美しい。だんだん空気が澄んできて榛名や浅間も見え始める。
鍋割山山頂付近の雪庇:雪面には年号や明けましておめでとう等、書かれていて、元日の朝はここいらあたりまで人が並んで初日の出を拝んだのだろう。

 最後のピークを越えると雪庇の尾根に出てすぐ鍋割山の広い山頂に着く。誰も居ないかと思ったら同年輩の男性が一人座っていた。前橋の人だそうである。山頂には祠は無いがかわいいお顔の石仏が一つ鎮座している。風化の様子からそれほど古いものではなさそうである。昔からあったかどうかの記憶も定かではない。早速ここでも飴玉一つでたくさんのお願いを並べて手を合わせる。
 この山頂は風も当たらず暖かく居心地がいい。石仏の隣りに断熱マットを置いて座り、ザックを背当てにのんびり温かい紅茶をすすりながら、遠く前橋や高崎の街並の先に広がる西上州や奥多摩の山影を眺める。程よく疲れた身体が暖かい陽光につつまれ、青い空に白く輝く雪雲と共にしばし浮遊する。このままあの雪雲が夕焼けで金色に輝くまで待とうかなとも思ったが、いくらなんでも間が抜ける。ほどほどに切り上げる。
 
鍋割山の石仏

 ゴルフ場側からの急坂をダブルストックで一生懸命上ってきた人が、軽く挨拶して前から座っていた人のところに真っ直ぐ歩みよって話を始めたので、お仲間だったのだろう。”昨日は良く見えたよ〜”なんて南アルプスや富士山の話をしている。帰りがけに”毎日登ってんですか?”って声を掛けたら”昨日と今日だけね”とにやっとした。とにかくたくさんの人達が季節にかかわらず山に来るようになった。昨年赤城自然園にシャクナゲを見に行ったとき、近くを歩いていた我々より少なくとも半世代は歳上の農家のおばさんたちが、”昔のじいさんやばあさんは子供にお小遣いを貰わないとどこにも出られなかったが、今は年金が入るし車もあるから、こういう所へも来れて良い時代だなあ”と言っていたのを思い出す。相変らず世知辛い世相だが庶民のささやかな楽しみ、何時までも続けられる世の中であってほしいと願う。


 庶民の楽しみ、庶民文化と言えば江戸の町民文化だろう。庶民が旅行や山登りをしたり、草紙や浮世絵を楽しむことができた。”江戸っ子は宵越しの銭は持たねえ”のせりふ通り、現金を持つことができるようになった庶民の、ささやかなお楽しみの文化だとも言っていいだろう。江戸の町民文化を代表する言葉は粋である。粋と言えば威勢のいい啖呵や、小股の切れ上がった姉ちゃんや、華の吉原が頭に浮かぶが、本来その庶民の仲間内や外に対するさりげない愛情や、思いやりをさす言葉ではなかろうか。江戸っ子が最も軽蔑したことはもちろん野暮である。野暮と言えば田舎っぺえを連想するが、チャキチャキの江戸っ子だって3代前は田舎っぺえである。それをそれだけで軽蔑する訳は無い。大っぴらに人前では言えないが自分たち(内々)のささやかな楽しみに水を差す奴、ぶち壊しにする奴を悔し紛れにののしった言葉だろう。”野暮なやろうがでけえ面しやがって”。野暮がでけえ面なのか、でけえ面が大抵野暮なのか知りませんが、、、。


 野暮な話は切り上げて山を下りましょう。冬の太陽は低く、時間的にそう遅いわけではありませんが、この時間になると冷え込んできて、帰り道には人っ子一人いません。陽が落ちれば一瞬のもっと素晴らしいドラマが始まるのに、思いを残してひたすら下ります。この調子ならまた今年も楽しめそうな気がします。今年もよろしくお願いします。幸運を祈ります。
荒山と地蔵岳











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