03.12.13(SAT) 獅子岩(子持山) 子持村

 朝は雲ひとつ無い青空、赤城がすっきり見えている。今日は出掛けない予定であったが落ち着かない。取り掛かっている切り絵は一向に捗らないし、ほったらかして気分転換に出かけることにした。さんざ迷った挙句、子持山の獅子岩に登ることに決めた。例によって遅い出発になった。

コース:7号橋駐車場登山口11:55→尾根12:40→獅子岩岩頭13:00-13:40→尾根14:00→登山口14:40  (所要時間2時間45分)

子持村農免道路から屏風岩直下の7号橋までの林道は、全線舗装されているがやや狭いところもある。6号橋、7号橋際に各10台程度は駐車可能な舗装の駐車場がある。

7号橋登山口には、簡易トイレがある。外観は悪いが水洗で安心して使用できる。子持村役場の作った立派な子持山登山ガイドも置かれていて、自由に持ち帰れる。

獅子岩から子持山

 ちょうど20年前、腰痛と足腰の衰えを感じて山歩きを始めて、最初に手帳に記録した山がこの子持山である。当時から子持神社・奥の院のある登山口まで林道があり、分かりずらく迷ったが車で行くことができた。偶然10年前にも妻と獅子岩まで登っている。農免道路(20年前にはなかった)から先の林道は走りやすくなったが当時とあまり変わらず、変わったところは登山口付近に駐車場が新設、整備されたことである。これで入山者は飛躍的に増えたことだろう。この日も土曜日ということもあり、マイクロバスを含め二つの駐車場ともほぼ満車状態だった。

 子持山は万葉集にも歌われた古い歴史のある山である。奥の院は登山口の右手にある。沢の真ん中を板で完全舗装した2mほどの真っ直ぐな登山道?を100mほど登り太鼓橋を渡ると、屏風岩の真下に役の行者の像が祭られた小さな社がある。杉林の沢を登るとすぐ屏風岩への分岐があり、古い円珠尼の歌碑がある。 
屏風岩直下の役の行者像

 チェロキーでほぼ同じ時間に駐車場に着いた体格のいい単独の若い男性は、屏風岩への急な登山道をずんずん登って行った。我々はのろのろと暗い単調な杉林の沢道を登る。近くの小学校の生徒さんたちが作って、集団登山のときに木の枝に括りつけた板に書いた鳥の絵が励ましてくれる。
 杉林を抜けると雑木のガレ場を尾根まで登る。10年前はほんとにどこでも登れるような広いガレ場で、間違えてとても渡れない岩尾根の上に出たりしたが、今回はむしろ状態は改善されていて雑木が育って土が付き、草が生えて登山道も間違いようもなくはっきりした道になっていた。


 ガレ場を登りきるとほっとするような小さな尾根に出て、6号橋からの登山道と合流する。Y字型の尾根の突端は岩場になっていて、ここから獅子岩の垂直な丸い岩壁を見上げることができる。一休みして出発するとすぐ子持山山頂と獅子岩分ける分岐に出る。これを左に獅子岩に向かうがかなり急なヤバイ岩場である。
 後から来た少し若いご夫婦に追い付かれて気がついたが、分岐をさらに3〜40m登るともう一ヶ所獅子岩と山頂を分ける分岐があり、これを獅子岩に向かえばこのいやらしい岩場を半分ほどはエスケープして、もう少しは程度のいい道を登ってくることができる。

 急ながけの途中で追いついてきたご夫婦に恐々道を譲ったが、このご夫婦が道を間違えたので結局獅子岩には私たちが先に着いた。それにしても子持山ってこんなに険しかったかね。山が変わる訳ないから結局こっちが変わったってこと?
 昔からある変わった形の鉄鎖の縄梯子?を登り、さらに鎖にすがって数m登ると岩頭へ出られる。狭いので混雑すると困るなと思ったが誰もいなかった。覗き込むとお尻がムズムズする絶壁の上で展望を楽しみながら昼食。正面の子持山へ向かって登る人や下る人が何人も見える。赤城、榛名はもちろん浅間や武尊、富士山も見えたよ。
 一緒になった伊勢崎のご夫婦は山頂へ、私たちは予定どうり獅子岩までで下ってきた。獅子岩までだと山頂までの半分ほどの時間で楽しんでくることができる。遅出の山としては丁度良いと思う。
 
獅子岩岩頭と赤城山:やめればいいのに危ないよ!


屏風岩:獅子岩から見ると登山口のある屏風岩が遠く小さく見える。 駐車場から見た屏風岩


 最後はちょっと趣向を変えて、屏風岩への分岐にある歌碑の円珠尼の歌を紹介しましょうか。
 
  子持山 紅葉をわけて入る月は 錦につつむ鏡とぞしる

 円珠さんはどこから子持山に沈む月を見たのでしょうね。鏡のような月がいくら明るくても錦の紅葉が見える訳ありませんから、きっと陽のあるうちに夕日に映える素晴らしい紅葉を見たのでしょうね。
 円珠さんについては知りませんが、錦につつむ鏡を知っているのですから、きっと出家する前はいい家柄のお姫様だったのでしょう。若くて美しいお姫様が鏡に映して自分の顔をみる。そして恋しい人を想う。その鏡は錦につつんで大切にしまったのでしょうね。そして今でも心の中の一番奥にしまわれている。遠い記憶の闇の中でもそれはかすかにまだ光っている。年を経て、こうこうと冴え渡る月は上州の子持山にわけ入ろうとしている。"そうあの鏡のようだ"と想いがあふれてくる。その鏡には何が映り何を想ったのでのでしょう。自分の心はあの月のように冴え渡っている。どんな辺境の地に、何時果てても悔いはない、という尼さんらしい覚悟と、哀しさが心を打ちますね。老尼の遠く秘められた恋の物語、瀬戸内寂聴さんなら一遍の小説が生まれるかも知れません。
 







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